ランニングを仲間と一緒にやることで生まれる弊害について僕が思うこと
ランニングを継続・習慣化するために必要な要素はいくつかありますが、中でも「これだ!」と思うのは、仲間と一緒に頑張ること。
もちろん、得手不得手もあるでしょうから必ずしも仲間とやることが正しいわけではありません。
ですが、多くの場合「仲間がいるから頑張れる」ものではないでしょうか。
仕事やものづくりで考えても、一人でできる事には限界があります。
だから、「チーム」というものが存在するんです。
チームにも色んな形があります。
雇用関係があるビジネスチーム、フリーランスで集まっているプロジェクトチーム、会ったことはないけれどオンライン上でやり取りをしているチームなどなど。
ただ、形はどうであれ、人が集まっていればいいのか?というとそうではないですよね。
チームには「共通の目的」があります。
イベントを成功させるために集まったチーム、皆でフルマラソン完走を目指して集まったチームなど。
目的なきチームは単なる「集団」です。
この点で言うと、特にランニング初心者が仲間の力を使って習慣化を目指すのであれば、
僕自身は「ユルいチーム感」が大事ではないかと思うわけです。
ユルい繋がりをもったチームとも言えるかもしれません。
私はそれを「仲間」と呼ぶのがいいんじゃないかと。
正式な定義とは違うと思いますが、イメージがしやすいので。
なぜユルさが必要なのかというと、何となくの目的で集まった人達をチームにしてしまうと、
他人に刺激されて自分のキャパ以上に頑張ろうとしてしまうからです。
特に最初はテンションが上ってしまう。
テンションが上がること自体は悪くありませんが、その分落ちやすい。
※いわゆる人間の「やる気」には2種類あって、前述の「テンション」と「モチベーション」があります。テンションは短期的なやる気、モチベーションは長期的なやる気です。
ですから、一時的にテンションが上がることはいいことですが、いかにモチベーションを維持させていけるかを仕組み化していくか?を考えていく必要があります。
その点で大事なのは、「他人と比較をしない」こと。
仲間とランニングをすると、どうしても年齢差、男女差、それにともなう体力差が出てしまいます。
若い人が必ずしも体力があるわけではありませんが・・・
ですから、仲間と一緒に切磋琢磨する中にも、
「自分は自分である」という、ある種の割りきった感も持つことが大切です。
ソーシャルネットワーク上だけで繋がる、というのも一つかもしれませんね。
そこまで他人に左右されずに済みますから。
繋がっているんだけど、繋がりすぎていない感がウケるのかもしれません。